Lust and Temperance 浪費と節制

精神世界

トートタロットにはLust(欲望)というカードがあって、ウェイト版タロットなどの「力」と入れ替わっています。一方でウェイト版などにあってトート版にないキーワードに「Temperance(節制)」があります。

この「節制」と「欲望」というのは表裏一体なところがあるので、セットで考察すると興味深いテーマです。

食欲を例にするなら「たくさん食べることはいいことだ(無駄な食欲を肯定)」なのか「小食がいいことだ(食欲にとらわれていないことがいいこと)」なのかという話です。

ビュッフェや食べ放題のような料理は「大食という欲望を素直に賞賛している」と分析することができます。一方で精進料理(修行僧の料理から発展した和食のジャンル)は「粗食のほうがカッコイイ」という節制の要素が入っていると言えます。

浪費と節約 ( 節制×お金 )

節制という言葉はお金に関して言うなら「節約」と言い換えることもできるでしょう。

ところで、節制というのはミクロの視点で見れば正解なのですが、マクロの視点で見れば不正解になることがあります。

例えばお金を持っている人が「質素な暮らしばかり」をしていたとします。そうなると、例えば高級品を扱う仕事にかかわっている人たちは大打撃を受けます。マリーアントワネットみたいな人が非常に高価な宝飾品を発注してくれれば、宝石職人も宝石商も多くの人が仕事を得ることができます。ところが、贅沢な宝飾品を使う人がいなくなったらその周辺の産業の人は仕事がなくなるわけです。

富が無駄なことに投じられるのは、個にとっては無駄でも社会全体にとってはプラスになることがあります。発明の類も実現前の段階では「非現実的な妄想」でしかありません。それを実現させるためには「妄想に出資するという無駄遣いをする人たち」が必要になります。

個人のレベルで考えると「富がありすぎて困っている」という状況は少ないので「倹約」は常に美徳として扱われる傾向があります。ただ、それが社会全体的に正しいかは話が別になってきます。

ド派手な浪費としての贈与

北米の先住民には、贈与論で有名になった「ポトラッチ」という風習がありました。祝宴に相手を招いて贈り物をするのですが、お互いに相手より派手にもてなそうとしていく儀礼的な浪費バトルです。

現代の日常であるかもしれない似た状況を空想するなら、1000円おごられたら2000円おごりかえし、2000円おごられたら3000円おごりかえし、みたいに非生産的な消費が無限に続くようなイメージです。ゲーム的な楽しさはあると思いますが、特に役に立つことではない消費です。

ところで、「人類が二度も世界大戦という愚行をやらかしたのは、戦争しか過剰になったエネルギーを浪費する仕組みがなかったからだ」といった趣旨の分析をしているバタイユという思想家がいます。人間世界に巨大なエネルギーが余ったままになってしまったことで世界大戦が起きたという発想です。戦争以外の方法でガス抜きをすることが、世界大戦という悲劇の再発防止にとって必要だという主張になります。

たまりすぎたエネルギーを抜くという視点だと、「節制(TEMPERANCE)」の発想よりも「欲望(LUST)」を肯定する発想のほうが必要かもしれません。

生産と遊び

産業革命以降の社会では「生産が善。遊びは悪。」みたいに扱われることがあります。遊びと呼ばれるものは「常にそれ自体が目的」であり、生産は「将来の計画達成が目的」という違いがあります。

「欲望」=「今の満足度を重視」
「節制」=「未来の目的達成を重視」

こう並べてみると「節制」のほうが美徳に見えるかもしれません。

ただ、人間としての幸せを考えた場合に「遠い未来の目的達成のためばかり生きる」というのは意味がない場合もあるでしょう。

漁師とコンサルタント(小話)

漁師とビジネスコンサルタントという小話がインターネットで話題になったことがあります。MBAをとった経営コンサルタントと、メキシコ人の漁師、という2人の人間が登場します。以下、よく流布しているストーリーのまとめです。

メキシコの海岸に住んでいる漁師が魚をとってのんびり暮らしていました。そこにアメリカでMBAをとったコンサルタントがやってきて「これから、20年くらいかけて漁業ビジネスの会社を起こし、会社を売って資産を作ろう」という提案をします。漁師は「それから?」と問います。コンサルタントは「そうすれば、毎日のんびり魚をとって暮らすことができるよ」と答えます。

つまり20年かけて将来のためにビジネスをしようとコンサルタントは言うのですが、遠い将来に獲得できるであろう報酬を漁師はもう既に完全に持っているという話です。

「ビジネスを作って大きくする」という仕事が好きな人はコンサルタントに賛成するでしょう。ただ、「魚釣りそのものが好き」という場合は漁師のライフスタイルのほうに賛成するでしょう。

大事なのは「将来のために、今を生きる」というライフスタイルは用法を間違えると「もう既に持っているもの」を失うだけになるということです。

例えをかえると、「子供のために仕事を頑張るお父さん」がいたとして、「仕事を頑張るより、もう少し一緒に遊んでよ」という話かもしれないということです。

欲望のままに浪費せよ?

中世ヨーロッパ社会は修道士の「節制」的な「肉食禁止」みたいなお堅い生活と同時に、「お祭りでの浪費や深酒(年に数十日)」というものを設定することでバランスをとっていた面があったようです。王様の誕生日のような祝祭日ともなれば、都市を仕切っていた貴族が市民に「ワイン飲み放題」をふるまうこともあったようです。

お祭りでのカオスなエネルギーの浪費と、節制した質素な生活と、解放と制限のバランスがとれていたと考えることができます。

酒を飲む楽しみの半分は禁酒令を破ることにある、みたいな話です。現代でも「昼から酒を飲むとが楽しい」という人がいますが、「昼間は酒を飲まない。夜は酒を飲む」という慣習があって普段はそれを守っていることが前提になっている楽しさです。

エネルギーの浪費といえば、お祭りで神輿をぶつけて派手に壊しあうという例が日本の祭礼にもあります。「一定のコントロールのもとに、破壊衝動を解放すること」によって人間の活力が再生するという面はあるのでしょう。

「害が大きくならない範囲で、定期的に無駄な浪費をする」ということは人間にとって健康で文化的な生活を維持するために必要な活動の1つなのかもしれません。

まとめ

どれくらいの比率が最適なのかはその人の状況次第だとは思いますが「未来の目的のために」と欲望を抑制して「節制」に努める時間と、自分の内側からわきあがる「欲求」にしたがって「ただ目の前のことに没頭する」という時間と、両方を持つことは重要でしょう。

生理的な欲求に従うという要素が0になってしまったら睡眠不足で倒れてしまうでしょうし、将来の目的のために何かするということが0になってしまうと時間のかかることが何1つ成し遂げられなくなりそうです。

 

 

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nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。

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