実は、インターネットというのは「人類は一つ。世界は一つ」という世界観をどんな宗教やどんなマスメディアよりもパワフルに押し広げていく技術です。
もし「人類みな兄弟 」的な思想を広げたいなら、宗教活動や慈善活動よりもインターネットで遊ぶほうが広がりは出るかもしれません。(笑)
インターネットに参加者として遊ぶ習慣ができると、
「国境?何それ?」
という感覚を遅かれ早かれ多くの人が体験することになります。
人類の歴史から考えると 「国の境?なんだいそれは?」という感覚のほうが実は歴史は古いのです。国境線みたいなものを今のようにカッチリ決めるようになったのはここ数百年くらいの話です。(人類数十万年の歴史からしたら一瞬です。)
もちろん、私達がインターネットを使うためには
*電気が安定して供給される。
*PCやスマホをみんなが持っている。
*電波が安定して飛んでいる
*通信回線が安定している
*国家が大規模な検閲をしない
(ex. Chinaでは世界で最もネットの検閲が厳しく、政府に都合が悪いホームページは検索結果にでません)
などなどの前提は必要です。なので、従来の国家権力というのは意外に相変わらず強い力を持っているのです。
いくら、インターネット時代といっても「電源と電波を切られてしまえばそれまで」です。国家が、検索エンジンを運営する会社やサーバを運営する会社に「文句言うなら、電気を止めて通信回線を物理的にシャットアウトするぞ!」と実力行使な規制をしてしまえば、情報統制は可能です。
ただ、インターネットユーザーにしてみれば「国境?なにそれ?」という部分は確実に広がっています。
youtubeで動画を見て遊ぶのに、アメリカでアップされた動画か、アフリカのどこかでアップされた動画か、日本でアップされた動画か、なんてどーでもいいですよね。
インターネットの世界に、「地域」という壁は関係がないのです。
例えば写真サイトにスマホで撮った写真を投稿するとか、それだけで「世界中のどこかの誰か」がその写真をダウンロードして楽しむことができるのです。これはインターネット以前には考えられなかったことです。以前なら、例えば写真集を作って多くの人に見てもらおうとしたら、
*お金をかけて印刷する
*見せに行く
*出版社に頼んで出版ルートにのせてもらう
*何か大きな所がやっている賞をとって、話題にしてもらう
などの行程が必要でした。 今や、ただ公開するだけなら3分の作業です。そして、人が集まる場所に投稿した場合、運がよければ、それが大きな広がりを持つ可能性は常にあります。