神話の解釈の方向性

神話の解釈の方向性には多様な方法があります。今回は、おおまかに3つの方向性を解説します。

1.具体的な事実の反映として読む(史学・自然科学)
2.精神的な例え話として読む(心理学・哲学)
3.真実として読む(宗教・スピリチュアル・政治)

以下、説明です。

1.具体的な事実の反映として読む(史学・自然科学)

歴史的事実の反映、自然現象の反映、社会制度の反映、文化の反映などとして読む方法です。なんらかの事実を反映していると考えるわけです。

例えば、ギリシャ神話のトロイ戦争の記述を読んで、今のトルコで発掘活動を行ってトロイの遺跡を発見したシュリーマンなどは、こういう読み方をしたわけです。当時、トロイはただの伝説、と思われていたのですが、実はトロイの都は本当にあったというわけです。

天岩戸神話は日食を反映している、といったのも自然現象の反映という視点です。洪水伝説が、実際の気候変動や洪水があった証拠だろう、という考え方もこれです。

なんでもこの路線で解釈すると味気がないですが、シュリーマンのような面白い成果に結びつく可能性もあります。

2.精神的な例え話として読む(心理学・スピリチュアル・哲学)

寓意、智恵、心の本質、無意識の構造、人間の性質の本質、本来の姿などが隠されていると思って読む方法

これも古くからある読み方です。愛読書などがある人は、この解釈は自然に思えるのではないでしょうか?

例えば、”見るなといわれると見てしまう”という話が世界中にあるのは、人間が本質的にそういう性質を持っているからだ、といった解釈ができます。

また、竜や怪物は無意識の力の象徴、騎士は意識(理性)の象徴、といった風に、全ては人間の心の動きを反映した物語だととらえていくわけです。全てをこの路線だけで解釈してしまうとややつまらなくなってしまう部分がありますが、これもとても面白い解釈の仕方です。

 

3.真実として読む(宗教・政治・スピリチュアル)

例えば、人間の起源に関して、ダーウィンの進化論ではなく、神の子孫である、とか神によって作られた、という説を採用することです。だいぶ色んな化石が出てきたとはいえ、進化論も一つの仮説にすぎません。なので、それほど珍しいことではありません。竜や巨人にしても古代には実在していたのだとする考え方です。

この場合、サルの子孫と信じるのと、神の子孫と信じるのと、どちらが、本人やその組織全体にとって有益かというのが最大の問題です。

この場合、自分と違う意見の人に関しては”合意しない事に合意する”という程度の距離感を保つことが大切で、単純に相手の主張を認めてはいけません。「死後の世界は絶対にある」と信じている人に”なかったらどうするんだ?”と力説してもよいのですが、「基本的に論理的な説得は無駄である」という認識をもって、折衝をすることが必要です。

これは、どれを信じたほうが本人なりその組織にとって役立つかということが問題で、科学的な視点でみた事実と認定できるかどうかなどは一切どうでもよいのです。

注意すべきは自分の真実が本当に自分にとって役に立っているのかを注意深く見分けることです。「サンタクロースは実在する」という価値観を採用するとして、それで人生が楽しくなればそれでよいです。しかし、「いないんじゃないかという不安にさいなまされて夜も眠れない」というのであれば信じる真実を間違っていますので改めることが必要です。

まとめると、

具体的な事実を反映している、と歴史学者的に解釈するか
人間の心の本質を反映している、と哲学者的に解釈するか
真実として解釈して、宗教者的に救われる対象にするか

という話です。もちろん、実際にはどれか一つの視点だけということはなく複合的な視点で解釈されていることが多いでしょう。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。一般論や常識に違和感がある方歓迎。

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