願えば叶う的なスピリチュアルなトークの真実

エッセイ

「叶わない夢はない」という自己啓発本やスピリチュアル本のオーバートークは、実はあまり好きではありません。なぜなら、全ての夢が叶うなんてことはないし、実際には制約がたくさんあるからです。

ほんとになんでも叶うのなら、「ベーシックインカムが今の日本円の価値で1人あたり月30万円支給、生活費や税金などが変わらない前提、全国民に」とか願ってくれれば、嫌々仕事さぜるをえない人が消滅していい国になるんだがという話です。

この話の証明は、「本当に何でも叶うなら、空中から努力無しに金でも食べ物でもだせる世界にしてくれ」などと極めて現実的な話を一つすれば十分だと思います。また、歴史上の悟った人達もイエスもブッダもみんな死んでいます。不死の存在になることもできなかったわけです。

という風に、「願えば叶う」という話には実際にはたくさんの制約がついています。

ただし、ある程度の制約の中でなら「願うことが叶う」という現象は確かに観察できます。逆に「願わないことは叶わない」としたほうがいいかなと私は思っています。何かを願えば実際に何かをはじめますけど、願わなければ何もはじまらないということです。

最初の最初から「自分が本当に探しているものとそこへの道筋」が完全に分かったら、そういう人は最初から偉大な企業家や偉大な宗教者などになっていると思います。

ただ、ほとんどの人はそうではありません。「なにがほしいのか分からない」「ほしいものは分かったけど、そこへの道筋は完全に暗闇」という状態で人生ゲームをプレイせざるをえないわけです。

であれば「願えば叶う」という仮説を小さく採用して、まずは「目の前に見えた夢を追いかけてみる」ことからはじめるのは悪い選択ではないと思います。

例えば高級ブランドの洋服などを「虚業だ」と批判する人がいます。ただ、批判する程度に興味関心があるなら、まずは実際に買って見ることからスタートしたほうがいいということです。着てみた上で「自分の世界にはいらない」と感じたら卒業したら良いわけです。気になってはいるのに実際に試すことをせずに 「贅沢は敵だ!ほしがりません勝つまでは 」的な批判をしているだけでは、一生かかっても「自分のほしいもの」は分からないままで死んでいくことになってしまうと思います。

あらゆる欲望は、まずはとりあえず素直になることからはじめたほうがいいでしょう。

もし「なまけたい」という欲求が強いなら自分がナマケモノになってこそ、人を楽にするために偉大なエネルギーを使えるようになります。もし「美人になりたい」という欲求が強いなら、まずは自分が素直にそう感じてこそ、人をキレイにするために純粋なエネルギーを使えるようになるということです。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。

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