占いに依存すると占いに棄てられる

エッセイ

占いというのは良質な精神科医のような要素をもっており、不健康に依存をすると、依存させまいとして冷たくされるようになるという傾向があります。つまり、「頼りすぎたらあかんよ」という意味で冷たくされるようになるわけです。ここでさらに頼ろうとしてしまうと逆に占いに拘束されるようになります。

日常の些細なことまで何でも占いを使わないと気が済まなくなっていたら、一種の危険信号ととらえて占いをやめるのが一つの方法です。

依存しすぎるとろくなことにならないのは何でもそうで

1.方位(陰陽道・気学など)に依存しすぎると、方位に縛られて身動きとれなくなります。(真面目にやってたら普通に生活できません)

2.ポジティブ思考に依存しすぎると、ポジティブであることに縛られてやりたいことが出来なくなります。(ネガティブは無視すればいいってもんじゃないです。)

3.言霊に依存しすぎると、言霊にしばられて何も言えなくなります。(世の中には「バカ野郎!」と言わないと通じない相手もいます。)

4.念仏に依存しすぎると、「お題目を唱えていれば強盗がきても殺されない」と考えるただのアホになります。(「命でも金でも欲しいならくれてやるぜ」くらいの考えでやってるなら偉人ですが。)

5.食事タブーを作りすぎると、かえって不健康な身体になっていきます(平安末期の貴族の没落はこの辺にも理由があった気がします。)

数え上げるときりがないのでこの辺で区切りますが、

占いであれ心理学的なものであれ宗教的なものであれ、メンタルを扱う道具に関しては、「技法そのものはいつ棄ててもよい」くらいの気構えをどこかに持っていないと技術に引きずられてしまう危険というのは常にあります。

メンタルな道具の面倒な点は、多くのケースにおいて「その道具で自分の人生が変わった」とか「その道具で他人の人生が劇的に改善された」的な体験によって強化されているので、「今の状況では使わない」というのが簡単にできなくなっている事があることです。

ただ、道具というのはあくまでも用途にあわせて使うことで真価を発揮するものです。テクニックはしょせんテクニックなので、状況に応じて使うことが一番大切です。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。

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