スピリチュアルが好きな人にファンが多い価値観の1つに「宇宙(世界)は愛なんだ」というタイプの表現があります。これは歴史的な源流を探すなら、もちろんキリスト教を第一候補として上げることができる世界観です。
以下、新約聖書より。
qui non diligit non novit Deum quoniam Deus caritas est
Whoever does not love does not know God, because God is love.
愛さないものは神を知らない。神は愛である
ヨハネの手紙第一 4章:8節
「宇宙は愛なんだよ」的な世界観の歴史
まずこの「Deus Caritas Est ( God is LOVE) / 神は愛である」という伝統的な聖書の教えが、欧米で脱キリスト教化した文脈でも言われるようになります。
そのうち、「宇宙人の教える幸せになる方法」みたいなライトなスピリチュアル小説でも「宇宙の本質は愛なんだ」と言われるようになります。
それが日本のスピリチュアル・自己啓発の世界でも使われるようになり、「世界=愛」という言葉が静かに広まったというのが、大きな流れになると思います。
仏教やロマンスにおける「愛」のイメージ
ちなみに、仏教文脈だと「愛」は「欲情」とか「執着」とか悪い印象の意味を含みます。恋愛小説などでは「愛」はもちろんベッドで恋人たちがすることの意味も含みます。
キリスト教文脈だと、愛はロマンス小説的な意味に限りません。なので、クリスチャンの先生などは、場合によって「LOVE」は愛とは翻訳せずに教えることもあるようです。
個人的には聖書や欧米のスピリチュアル本の文脈でいう「Deus Caritas Est ( God is LOVE) 」を「神は愛」と翻訳するのはいまひとつな翻訳だと思います。聖書文化や西洋史に縁が薄い層からしてみると、「神は愛」は日本語的には意味不明感がひどいので。
「愛」の字で兜を飾っていた戦国武将
ところでここまでかいて、有名戦国武将の「愛」の兜について思い出しました。
あの武将はクリスチャン大名ではないので、「愛」は「エロス」とかそっちのイメージで解釈したほうが当時の本人の意志には近いのではないかと思いました。
20世紀の米国の軍隊でも、兵士が戦闘機にセクシーおねえちゃんの絵を書くといった男子校的な風習がありましたが、ああいう不良少年的なノリに近かった可能性があります。
もしくは真面目な仏教信仰の視点から「愛」の意味を解読するなら、ラブロマンス的な愛ではなく「(不動明王みたいなお顔をしている)愛染明王の愛の字」くらいで解釈したほうがよいのではと推測しました。この場合は少女漫画的な甘酸っぱいイメージよりは少年漫画的なイメージになります。
聖書を知っているか知らないかで見える世界が違ってくる
愛の神とか神の愛と言われた場合、「聖書文化」に特に触れたことがなければ「恋愛的な文脈」のみしかイメージされないと思います。
ところで、聖書的な文脈をふまえると「なにか精神的な崇高なもの」もスムーズに連想されてきます。
西洋に由来するスピリチュアルな知恵や魔術や呪術や占いなどを扱う場合、聖書的な感性がある程度はないと無駄な混乱が増えてしまうことがあります。
例えばタロットカードやその解説に関して感覚的に「?」がつくところが多い人は、聖書の世界をのぞいてみることで大きなブレイクスルーが起きてしまう可能性があるかもしれません。
※聖書の引用元(ラテン語・英語)
https://www.perseus.tufts.edu/hopper/
https://www.wordproject.org/bibles/