もともと商学部出身で統計も少しは勉強したので「占いは統計学」と主張する人をみると外側だけ笑顔で、心の中でブラックな感じでつぶやくことがあります。
「数学者が数秘術宗教やってたピタゴラスの時代とは違うんだよ。今や完全に別物なんだだよ。ベツモノ。そもそも統計学の入門書くらい読んだことあるのかよ。」
正直、「ベツモノですから」といいたくなる事例が多いわけです。趣味の問題に近い話なので、初対面の人にいちいち訂正を求めたりはしませんけど。
さて、この「占いは統計学」というキャッチコピーは実は占い側にとっては、自分の首をしめることになる可能性があるキャッチです。統計学と名乗ると学問的にかっちりした統計をとらなきゃいけないんじゃないか、と考える人達がでてくる可能性があるからです。そうなると、ほぼ全ての占いの統計は 「テキトー過ぎて学問的には統計とは呼べない」というものになってしまいます。
占いはある種のテキトーさが売りなのですから、あえて統計学だなんて名乗ってマジメ路線にいったら自分の首をしめるだけではないですか、と思うわけです。
オカルト雑誌のムーが真面目な歴史雑誌を名乗ったら「リンカーンは宇宙人だった」「富士山は1000年前からUFO基地がある」などのおもしろ記事が掲載しにくくなるから、つまらなくなるでしょうに、というのと同じような話です。
いい加減さが必要な場合は適度にいい加減な看板を出しておいたほうがいいわけです。
なので、「数千年のデータの蓄積」とか「古代から続く宇宙の真理」くらいならどんどんキャッチーにすればいいと思いますが、「統計学」という「科学用語」を占いの人が看板に使うのは微妙だなと思うわけです。
ここまで書いて思ったのですが、「占いの権威性」を「統計学」という用語を使って主張しようという意図が入っている場合に、特にうっとうしく感じるのかもしれません。占いや神託(Oracle)の正当性や権威性を主張したいなら、「神」とか「信仰」とか「宗教」などの世界を持ち出せばいいのです。そこで統計学を持ち出すのは何か違うと感じてしまいます。こう感じてしまうのが「占いは統計学」と言われると不快感を覚えることが多い理由なのかもしれません。
なお、統計学的な統計もその使われ方は占いにまけず劣らずいい加減な面があります。詳しくは「統計でウソをつく方法(統計学のお気楽入門書)」あたりからご覧ください。