本当のことは公の場や一般書籍などではなかなか言えないからです。ブログやSNSも例外ではありません。本当の情報はクローズドな場所、「ここだけの話がし放題」な場所でないと言えないという現実があるからです。
例えば「失言だ!」と反対派やマスコミに騒がれた政治家の例を見てみましょう。いかに本当のことを言えない世の中になっているかが分かります。
1.森元総理
【日本は天皇を中心とする神の国】(神道関係での講演の中の言葉)※政治家なら支持団体の前に行ったらこの程度のリップサービスをするのは不思議ではありません。
「日本は天皇を象徴として抱き、神道を国教的なものとして採用している国」
と訳すと、全くその通りです。別にキリスト教の人でも首相になれますが(麻生元総理など)、神道ではなくキリスト教の国などになったら別の国になってしまいます。
2.仙石元官房長官
【自衛隊は暴力装置】(国会答弁)※国家が軍・警察のような「合法的に暴力を行使できる仕組み」を持つのは国防の基本です。暴力装置というのは一言で軍や警察の本質を表す優れた専門用語ですので、「言葉狩り」の対象にするのは不適切です。
3.椎名悦三郎元外務大臣
【アメリカは日本の番犬みたいものです。(中略)番犬様です】
(米軍の核兵器に日本の国防を依存する話に関する国会答弁)※野党から失言扱いされたようですが、外国の軍隊の核兵器に国防を依存するなら、タテマエとしてこれくらいのことを言っておかないと逆にまずいでしょう。
いずれも、内容や文脈をみれば全く不適切ではない発言ばかりです。
ところが、現代社会には「公開の場では本当のことを言ってはいけない」という不文律があります。例えば、公開の場で「エロいこと」を言ってはいけない。(●●コとか●マ●コとか言うと、ピーが入る)という暗黙のルールがあるので、ストレートなことを言うと失言と批判されるわけです。
ただ、タテマエだけで空中戦な対話を百回やっても、物事の理解は1ミリも深まりません。
精神世界的な視点でいうと
「ありがとうって念仏のように唱えれば救われる」
「ワクワクすることをやれば成功できる」
「思考は現実化する」
「体の声をきけば楽になれる」
みたいな理念だけあっても、実際にはそれだけだけでは救われない人が多数派なわけです。本当にキツイことがあった時に「思考は現実化する=だから全て自分の責任なんだ」と一瞬で反省できる人なんか滅多にいやしません。(1万人に1人とかじゃないでしょうか・・・)
その辺、理念と本音をきちんとバランスさせるために、クローズな場での対話というのが非常に大切になるわけです。裏側の仕組みをきちんと理解した上で、タテマエを言うのと、裏側の仕組みがブラックボックスのままでタテマエしか言えないのとでは、物事の理解の幅が全く違ってきます。