江戸しぐさは「江戸町人に学べ!」という発想で編集されたマナー集らしいです。ただ、私はこのマナー集は好きではありません。なぜなら「江戸文化も実は好きだから」です。だいたい、江戸文化が好きな人は江戸しぐさを嫌いになると思います。なぜなら、歴史や芸能の中で知られている江戸時代とは全く違う世界観になっているからです。ラーメンが大好きだから、カップラーメンは許せない。料理が好きだから、味の素をつかうなどもってのほか、みたいな発想と似たような感覚です。
たとえは江戸しぐさには「時泥棒」という話が入っています。が、これはどうみても昭和な発想です。
江戸時代はそんなに時間にうるさい世界ではありませんでした。そもそも庶民が自分用の時計なんて持っていません。「誰もが腕時計などを持っていて電話や郵便などが近代社会なみに発達している」という前提もないと「時間に正確」と いう美徳は成立ちません。そもそも、落語でも歌舞伎でも江戸期の大衆芸能で「時間泥棒」をネタにしたものな ど聞いたことがありません。
江戸時代に、現代的な意味での「時間に厳しい。」という世界観は生まれようがないのです。
一事が万事この調子で、江戸しぐさは「昭和な人」の世界観なのです。実質的に。だから、「江戸商人に学ぶ??面白そう!」と思った江戸好きな人は聞いた瞬間にたいてい内容にがっかりすると思います。
そもそも江戸と現代とでは感覚がいろいろと違います。同じ所もありますが、違うところもあります。
例えば、江戸以前の日本人の性の倫理は現代とは全く違います。キリスト教的な道徳の発想はありませんでしたので、処女の純潔を重んじる発想もありませんでした。処女崇拝というのは、聖母マリアが処女のままイエスを産んだという伝説をもつキリスト教圏的な発想ですので。
昔の日本のセックスの実態はどちらかというとセックス&ザシティに近いものがあります。あの手のエロな笑い話を民話から一つ引用すると
1.おかみさんの浮気を心配した行商の商人が、おかみさんの足の内側に「玄米」の字を書いておいた(事に及ぶと消えてしまう)
2.米屋の若旦那とおかみさんが旦那の留守中に不貞行為に及んだ
3.脚の字が消えてしまったので、あわてて字を書いたが米屋はいつもの癖で「白米」と書いてしまった
4.旦那が字が違うぞと責めると、 「へえ、玄米は米屋について白米にしてもれえました」
みたいなエロ笑い話(「女房の米つき」より一部引用)などがあります。こういうのはいかにも江戸時代っぽい感じがします。
どうせ歴史に学ぶなら、現代と同じ所だけでなく違う所も見たほうが面白いです。