SF小説の世界だけと、「雑事はすべてロボットにやらせて人間は毎日が日曜日」という未来が時々描かれています。ドラえもんの映画でもそんな世界が描写されていた回がありました。
これに関連して現代日本に目を向けると、”外人に仕事を取られる! 機械に仕事を取られる!”的な話って昔からよく出ます。これは、自分がやっていることが無価値なのではないかといった不安とシナジー効果を産んで、多くの人の心の底に眠っている不安です。
スターウォーズのベーダ―卿が機械人間のような描写をされているのは興味深い比喩だと思います。「人間なんて不要になるのでは?」という不安は多くの人の中に存在するわけです。
ただ、これは不安を感じたらすぐに自分のステージを移動する準備をして動き出すしかありません。仮に国単位で移民を制限したところで、会社のほうが安い国の人達に仕事を渡すようになっているだけなのでそんなには意味がないです。雇う側からすれば人件費は安ければ安いほどいいので。同じパソコンを買うなら安い店で買う人が圧倒的に多いのと同じです。
こういう不安への答えって実は一つしかなくて
「外人に仕事をとられるかもという不安」 →「日本人にしかできないこと」を探す
「機械化&IT化で仕事がなくなるかもという不安」→「人間にしかできないこと」を探す
という意識が大切になります。
究極は「自分にしかできないこと」にエネルギーを集中していくという以外の答えはありません。
自分という要素の中には「日本語で読み書きができる」という要素も当然あるわけです。印度人にも日本人にもできることではなく日本人にしかできないことにフォーカスしていくという視点は、特にこれから自分の仕事(事業)のジャンルを決めようという人にとっては重用だと思います。
おそらく、将来的には人間は労働の義務というものから完全に解放されて「誰もが好きなことだけをやっている理想世界」になっていくと思います。ただ、そうしたユートピアが現実化する課程で何が起きて何が必要になるかということはリアルな視点で考えておく必要はあります。ユートピアが10年後に実現するか1,000年後に実現するかというのは誰にも分かりません。ただ時が来るのを待っていてるだけではあまり意味がないのです。