人間を管理すべきか自由放任すべきかというテーマは昔から存在します。これは結論から言うと「一定のルールを強制した上で自由放任が理想」です。
スピリチュアルな世界では、超古代文明のアトランティスが戦争を行った原因は、家畜としての人間を管理するか自由に任せるかの争いが原因という物語が存在しています。これはとても面白い対立軸の物語だと思います。
ギリシャ神話では、人間に火を与えるかどうかで神々が対立します。
東洋思想では、法家思想(管理)と老荘思想(自然)がこの対立軸となります。
二〇世紀後半の世界では、自由主義経済(自然)と社会主義経済(管理)という二つの勢力が対立軸となりました。
経済に関しては社会主義の国が次々と崩壊したことで「国が全てを管理するとろくなことがない」という考え方は共有されてきていますが、管理するか放任するかというのは古くて新しいテーマなのです。
自由放任は下記の条件がそろえば極めて効果的です。
1.ある程度は共通のルールを持つことができる
2.真・善・美などの概念がある程度は共有されている
「一定のルールと価値観を共有できている」ことが放任で上手くいく条件となります。「自由放任」というのは善い意味で貴族的な社会(みんないい人であることが基本)でないとスムーズに機能しない部分があります。
例えば、産業廃棄物をばらまいて平気な人達と、自然を汚さないために徹底して努力をする人達、この二つの価値観の対立を治めるには「自由放任」ではどうにもなりません。万人にとって大切な自然環境を守りたいなら、「自然を汚さない」派に権力を与えて「汚すな!」というルールを強制するという管理が必要になります。野獣に物事を理解させるにはムチが必要です。幼児教育と同じで問答無用でルールを押しつけるということが大切になります。
商取引にしても同じ事です。「お前のものは俺のもの。俺のものは俺の物」という風に「私的所有権」という概念が存在しない人達が相手だと売買のしようがありません。例えば土地を買ってもある日突然「事情が変わったから」といって取り替えされてしまったらどうでしょうか?馬鹿馬鹿しいですよね。外国で土地の利用権を買ったけど、その国の政府から取り上げられてしまった的な話は時々ありますが、ルールが違う人達とは安心して取引はできないということです。
最低限の前提が共有されていない場合、まず必要なのは「管理」や「強制」です。同じルールで戦うという合意ができなければゲームは始められません。適切なルールが共有されてはじめて、「好きにしていいよ」という方針が効果を発揮するのです。
ところで、「放任」が逆効果になるのは「単なる管理放棄」になる場合もそうです。これは、毎日えさをあげていたペットにえさをあげるのを放棄するようなものでよい結果を生むことはありません。
神話から事例をひくと、アマテラスはスサノオが暴れた時に、自分の役割を放棄して引きこもってしまいます。結果、太陽が出なくなったのでたくさんの災いが起こり、神々は困って協議を重ねることとなります。(天岩戸)
自由放任にさせるのはよいのですが、「ルールや価値観を共有してもらう」というリーダーの仕事を放棄されてしまうと、家庭であれ会社であれ天上界であれ、萬の災いが起きることになります。何はともあれ太陽が存在していて世界を照らしていることが大事なのであって、完全に暗くなってしまったらそれはそれで困るのです。