基本的な物語の構造「行くと帰る」「喪失と回復」
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仕事を宗教儀式化する人々  ”手書き履歴書が欲しい人達”

21世紀になってからは数が減りましたが「履歴書は手書きに限る。ワープロなんぞもってのほか」という価値観をもった人達が日本には存在します。

手書きでなけれは認めないという人の意見を見てみると

*手書きが常識である
*手書きは心がこもっている
*手書きだと人格を見ることができる

などが目立ちます。「手書きが常識なんだ!俺の時代にPCはなかったんだ!」という老世代のものであろう意見をのぞくと「人格や熱意を見るために手書きにする」といった意見が主です。「手書きの書類がたくさんあるから字が汚い人は困る」という実務的な意見もありましたが、たいていは「手で字を書くこと」を心の問題とリンクして認識している意見が多いようです。

一方でワープロ派の意見を見ると

*今ではワープロで作るほうが常識
*そんなところに時間をかけるならもっとやるべきことがある
*見た目よりも書いてある中身が大事。

など、「パソコンが常識だろう!」という若い世代であろう意見を別にすると、実務的な意見が並びます。中には「手書きの書類作成をしているような生産性の低い会社には行きたくない」という意見もありました。

 

仕事の面接で使うのなら中身が普通に読めればなんでもよさそうなものですが、手書き派の人の信念はなかなかに強固なようです。

これは、履歴書というのを実務的な書類ではなく、神様に捧げる祭文のようなものだと仮に理解してみると手書き派の人達のこだわりの理由がはっきりわかってきます。

神聖なものなので全身全霊の気合いを込めて一字一句を書くことが求められるというわけなのです。確かにお守りやお札の場合、パソコンで作ったものより、神官や巫女さんが手で作ったお守りのほうがパワーはありそうです。履歴書とお経や仏像などを同列に考えれば、「手書きが重要」と考える人の感性は理解しやすいです。

問題は、手書き履歴書を求める人達の多くは、自分たちは仕事に宗教的な儀式の色彩を帯びさせているということを認識していないことです。「儀式だから生産性や合理性は二の次なんだよ。うちは非合理なことを大事にしたい会社なんだよ」と自覚していれば良い話なのですが、自覚できていないのです。非合理でもいいのですがその自覚がゼロの場合、「頑固だが一目おかれる」ではなく「ただのバカ」に見られてしまう危険があります。

とりあえず実際的な対応としては、履歴書はPC作成がよいと思う人はPCのみで履歴書を作るようにして「手書きを求めるような会社はこちらから願い下げ!」とするのが最良の選択だと思います。一方、手書き履歴書を書くタイプの人に応募して欲しい経営者は求人票にその旨を明記し「手書きで履歴書を書くのがうちのやり方です。嫌なら来るな!」ときちんと伝えることが大切になります。

所長
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ストーリー(神話)・ストラクチャ(構造)・スピリチュアル(精神世界)、3つのSな視点から物事の起源を見るインスピレーションを鍛えるサイトです。所長のキャラは、愛のあるドSです。モットーは「遊びをせむとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ。」
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