Graal(グラール)、タロットのカップの解釈と聖杯伝説

シンボル小辞典

「聖杯」についてはまず次の2つの系統の物語の存在を押さえておきましょう。

系統1 ケルト・アーサー王系

A.アーサー王伝説の聖杯
B.ケルトの伝承のアイテム「魔法の大釜」

 アーサー王伝説はいくつかの伝説群の総称です。「聖杯を探する騎士の物語」が入っています。例えば、「王が病む→旅の騎士が聖杯を探す→聖杯で王の病を癒す→めでたしめでたし」などの探求の物語です。

また聖杯のフランス語である「Graal」は、後期ラテン語では「大皿」や「大鍋」になっています。ケルトの伝承では、もともと豊穣の大釜という「魔法の大釜」があったようです。こちらの聖杯は現代人のイメージする「カップ」ではない可能性もあります。

(ギリシャ語 Crator(mixing-bowl) →(変化) → フランス語Graal という説)

デンマーク国立博物館所蔵の古代の銀器にグンデストルップの大釜というものがあります。ケルトのお鍋のイメージ、こんな感じで持っておくといいかもしれません。

Gundestrup cauldron    wikipedia より

 

系統2 聖書神話系

A.キリスト教の聖杯1(イエスキリストの処刑時に血を受けたという聖杯)
B.キリスト教の聖杯2(最後の晩餐で飲み食いした聖杯)

系統2の聖杯2つは、「救い主との一体化の象徴」であり、救済の象徴です。シンプルに「(キリスト教の)神の愛」のシンボルといってよいでしょう。聖餐儀式というキリスト教会の重要儀式に登場する杯とイメージが重なります。

クリスチアンでない人間には想像しにくいところではありますが、同じ釜の飯を食うならぬ同じ杯からの酒を飲むことで、共同体としての意識が生まれる、みたいに想像をふくらませてもいいのかもしれません。

キリスト教の教会の重要な儀礼の1つに聖餐儀礼というものがあります。すごく大雑把に言うと「キリストの血としての葡萄酒、キリストの肉体としてのパン、これを儀式の場で食することで信徒とキリストが一つになる。」というようなものです。(ダヴィンチの絵で有名な最後の晩餐のキリストと弟子たちの食事の伝承に土台をもつ儀礼。)

この教会にとって重要な儀礼のイメージが聖杯のイメージに重なるということです。

そして、系統1と系統2がフュージョンして大量のストーリーが生まれます。

キリストの処刑時の聖杯は、キリストを貫いた聖槍がセットになることがあります。この場合は、槍(男性性のシンボル)と杯(女性性のシンボル)として読み解いてあげると分かりやすくなりそうです。


タロットのカップと「聖杯」

ウェイト版などは「聖霊(キリスト教)のシンボルとしての鳩」と「ゴーフルみたいな聖餐儀式のパン(ホスティア)」に見えるものが描かれています。絵的にはキリスト教モチーフによせた絵になっていますので、絵だけに寄り添って解読するなら系統2の聖書の聖杯のイメージをまず最初は見ておいたほうがよいかもしれません。

聖餐式のパン(ホスティア)は儀式用ですが、形状としては薄い丸となります。このホスティア起源の洋菓子に「ゴーフル(Gaufre)(Waffle)」というものがあります。こっちは誰でも食べられますので、ゴーフルを食べてみると鳩さんの気分になれるかもしれません。

ただ、西洋の「聖杯」のイメージは系統1と系統2が混然となって形成されています。タロットの「カップ」の解釈も、「神の愛」「キリストの血」みたいなほうだけでなく「探求」や「クエスト」というケルト・アーサー王系の系統1のイメージも解読に加えてあげると広がりが出てよいと思います。

小アルカナにはカップのカードが10枚+4枚ありますが、全てが「静かな愛」みたいなイメージなわけでもなく「クエスト的な高揚感」に通じるものもあると思います。

タロットの聖杯は静的な「LOVE(愛)」の象徴として使われることが多いですが、「聖杯伝説」を通じて「伝説の騎士」や「冒険(クエスト)」といった動的なイメージにもつながっているのが聖杯というシンボルの面白い所です。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。一般論や常識に違和感がある方歓迎。

関連記事

特集記事

TOP