古事記のスサノオは、生まれてからこの方「母ちゃんの所に行きたい!」と泣いてばかりいました。髭(ひげ)が胸に伸びるまで泣いていたというのですから、現代に換算するなら20代後半までずっと引き籠っていたと考えてもいいでしょう。さすがにお父ちゃんのイザナキが怒って「然らば汝は此の国に住むべからず。(そんなにかあちゃんの国がいいなら、おまえはもうここにいてはいけない!)」と追い出してしまいます。
スサノオの場合は「母」という存在が欠けていましたが、だいたい物語の主人公は「この世界には、何かが欠けている」という絶望的な感情を持っているものです。そして、主人公の持つ悲しみや危機感というものは、周囲からは絶望的に共感されません。だからこそ、主人公は新しい世界に向かって旅立つ動機が生まれるのです。
生まれ育った場所の居心地がよすぎたら、主人公が旅立つ動機は失われてしまいます。古い世界が崩壊してしまうか、古い世界から追放されるか、どちらかのパターンは必要です。
オオクニヌシの場合は「兄たちの暴力的イジメ」とう外部からの圧力によって追い出されます。スサノオの場合は「父の圧力」という外部からの圧力によって追い出されます。
本当の人生というのは絶望や悲しみから始まるのです。
「この危機感を理解してくれる人がいない!!」でも「●●の良さを理解してくれる人がいない!!」でもなんでもいいですが、
「人はそもそも孤独な存在である。」
という前提からはじめることができれば、絶望の先には喜びが待っているはずです。