自己啓発と聞くと「最高ですか~?」「イエーイ!!」的なアーティストのライブ的なノリをイメージする人は少なくないと思います。いわゆるひとつのポジティブ思考です。
一度何も知らずにそういうイベントに参加して「ちい、失敗したぜ」と感じたことがあります。ただ途中で抜けるのもなんかもったいない気がしたので、とりあえず全力で叫んで成りきって遊んできたことがあります。
真面目にやってみれば分かりますが、あれは野球の応援的な変な楽しさがあります。音楽的な楽しさもあります。テンションは上がります。なんでもできそうな気になります。
ただ、もちろん 「ただそれだけ」です。
叫ぶだけで願いがかなうワケがありません。現実的に考えれば分かりますよね。ポジティブになれば夢は全て叶うというのは、ただの迷信です。現実はそんな甘いものではありません。(実際にやることをやれば目標に到達します)
広い世の中には「まずテンション上げて、全ては素晴らしい」式の世界観を信じることで実際に救われる人がいるのは確かです。だからあの超単純な「なんでも人生にYESというイエスマンになろう。そうすれば道は開ける!」みたいなメッセージがすたれないのです。宗教とは少し別の意味で「信じるものが救われる」の世界なので、本気で確信できる人は信じていいと思います。信じられない人が無理に信じると色んな意味で病気になります。なので何かがおかしいなと思ったらポジティブ信仰は今すぐ捨ててください。
あの栄養ドリンク的な単純にテンションを高める方式は、建国数百年の若者国家のアメリカでは普遍性がありますが、縄文以来数万年、記紀万葉からも千数百年の歴史がある日本人の場合は向かない人のほうが多いと思います。
日本人は無駄に教養が高い人が多いため、細かいどうでもいいことまで気になってしまい、ネガティブな感情を抑圧してポジティブになろうとするとさらに不安になる、という負のループはまる可能性が高い人が多いからです。
要するに自分で思っているよりは頭がいい人が多いので、あまり単純すぎる方法は逆に難しいのです。潜在意識でも顕在意識でも信じ切ることができれば効果はあるんですけど、どこか信じられないわけです。
であれば、ポジティブ志向とか明るい性格にこだわるよりも「不安なまま一歩前へ」「ビビリのまま声をかけろ」「人付き合い用の自分と、本物の自分をわけろ」的な、すこし複雑で高度な技を要求したほうが、多くの日本人にはうまくいきやすいと思います。潜在意識が複雑なんだから顕在意識も複雑になればいいんです。単純な話。
というのは日本的思考のコアの一つは「二面性(両義性)」だからです。古語に相反する二つの意味を持つ言葉があるのはその例です。例えば「影」という古語は、月影=月の光、という風な意味を持っていました。影は今ではシャドーだけを指す言葉ですが、もとは光もさしていました。
両義性の発想をコアの一つとしてもつ複雑な日本的メンタリティーは、単純な一元化を得意とするアメリカ的思考とはコアが違う。
だから米国型の単純すぎるテンション上げまくる自己啓発は効果が出ないことが多いのです。