今日は日本人の天皇観の両極を紹介します。1はあんなもんいらんの例、2は賛美の例。
1.若し王なくて叶ふまじき道理あらば、木を以て造るか金を以て鋳るかし、生きたる院、国王をば何方へも皆流し捨て奉らばや(室町 高師直 / 太平記)
2.大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居(たい)を 都と成しつ / 皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都 (奈良時代 大伴御行 / 万葉集)
1の超訳は「王(天皇)だの院だの、必要なら木か金で作っておけ。生きているのは無人島にでも流罪にしてしまえ」
2の超訳は「大君(天皇)は偉大だ~!馬がお腹までつかる田んぼしかなかった土地を、大きな都に変えてしまった」
天皇の権威・権力は、奈良時代には「大君は神にしませば」とたたえられていました。この場合の「神」は主に「スゴイ」の意味です。
ただ、天皇をいただく朝廷の力は、平安・鎌倉・南北朝時代と時代が下がるにつれてだんだんと衰えてきます。
平安末期 軍事警察権を平氏や源氏のような軍事貴族(武士)に奪われていく
鎌倉初期 東国が半独立国状態に。朝廷の力が及ぶのが日本の西半分だけに鎌倉中期 後鳥羽上皇が鎌倉幕府との戦いに敗れ、鎌倉幕府が全国制覇
建武中興 朝廷が力を盛りかえして後醍醐天皇が鎌倉幕府から政権を奪取するも
南北朝時代 足利氏との戦いに敗れ、全国の諸勢力は足利幕府の立てた北朝と
後醍醐天皇の朝廷(南朝)に別れ、日本全国が内乱状態。
というのが南北朝時代、足利幕府がはじまったくらいの時代の大まかな流れです。
武家たちの中には「王(天皇)だの院だの、必要なら木か金で作っておけ。生きているのは(邪魔だから)流罪にしてしまえ」と主張する人が現れるほどになりました。要は、政治は武家がやるから天皇だの上皇だのは置物・飾り物でよいという話です。
で、意外に「あんなもんいらん」と「偉大なる皇帝陛下」の平均をとって超訳するとこれになる気がします。
3.皇帝は国家の象徴にして人民の統一の象徴・・・ (昭和 占領軍による日本国憲法の草案)
4.天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 (昭和 日本国憲法第一条)※(歴史豆知識 1945年に定められた日本国憲法は、当時日本を占領していたGHQ(主に米軍)が草案を書いたものがベースになっています)
一時は「天皇なんぞいらん。あんなものが必要なら木か金で作っておけ」とは言っても「王(天皇)や上皇など一族皆殺しにして武家から出た将軍を新しい皇帝にしよう」とは結局はならなかったのが、日本史のユニークな特徴のひとつです。権力を失った王や皇帝は滅ぼされるというのが世界の歴史を見ると一般的なのですが、なぜ日本ではそれが起きなかったのか?
一つの王朝が非常に長く続いた結果として 「先祖をたどれば王家に連なる一族」がやたら増えたため、王家そのものを滅ぼすという発想がでなくなったという可能性もあります。武家の二大勢力だった源氏・平氏は、いずれも天皇を先祖に持っています。
象徴としての天皇を置き、実際の政治は首相とか将軍とかの他の人達がやる。
この「(儀礼的な)権威と(実際の)権力を分離する」というアイディア。ある意味で「所有と経営を分離する」という発想と同じなので、「みんなにとって便利」だったので続いたという可能性もあります。