現代の学校教育では「怠ける」ということに罪悪感を持たせることが行われています。サラリーマンをしているとたいていの会社でもそういう教育をしますから、非常に長い期間「怠けるな!」という教育を受けることになります。
ただ、これは語弊を恐れずに言えば、組織の下っ端要員として使いやすい人を大量生産するための一種の洗脳です。実際は人間には「怠ける期間」という冬眠期間のような時期が必要です。夏の活動期があれは冬の冬眠期があるのが自然な人間らしさというものです。
科学技術の進歩を牽引してきたのは「怠けたい!」という心です。歩くのがめんどくさいから自動車とか飛行機とかリニアモーターカーとかが発明されたのです。家電にしても、手で洗濯するのがめんどくさいから洗濯機や乾燥機という文明の利器が生まれたのです。手で計算するのが面倒だから計算機という優れた道具が生まれたのです。
心の世界の智恵が発達したのも「楽して悟りたい」「簡単に覚醒したい」みたいな気持ちがあったからこそです。でなければ、難しい経典と高度に抽象的な話と厳しい苦行だけしか覚醒のツールがない時代だったでしょう。
宗教の世界でも「南無阿弥陀仏」と念仏だけ唱えていれば仏になれる、等の非常にイージーな普及戦略が発明されたことで一般への普及が進んだという歴史的経緯があります。念仏唱えるだけで修行になるわけがないというのが理性的な意見ですが、100人に1人でもそれで救われる人がいればよいのです。信じるものは救われる世界ですが、信じて救われている人にはあえて水を差す必要はありません。
なので、実は「怠ける期間」というものがなければ、人間社会全体の進歩はなかったのです。
古い物語でも例えば日本の昔話には「ものぐさ太郎」という話があります。
若い頃は本当に怠けてばかりで乞食のような生活をしていた主人公が、ある時に京の都に働きに行くことになり、いつの間にやら出世して貴族となって、めでたく故郷に錦をかざるというお話です。
こういう話があるのは、「人間には怠ける時期が必要」ということが広く智恵として認知されていたことを象徴しているのです。苦労して立身出世みたいな物語ばかり教育の場では語られますが、実は怠けることで立身出世という物語も昔から存在しているのです。十八史略にも「三年飛ばず鳴かず」という即位してから3年間なにもしなかった名君のエピソードがありますが、熊に限らず人間にも冬眠のような時期が必要なことがあるということです。