聖なる書物

エッセイ

神話や伝承が書かれた聖なる書物の解釈というのは、古代においては一部の宗教者の特権とされていました。そもそも文字の読み書きができたのもごく一部の人達しかいませんでした。しかし、現代では多くの先進国では「誰でも読み書きそろばん程度はできる」状態になりつつあります。

もはや

「一部の聖職者だけが、聖なる書物から精神的な深い知恵を引き出して大衆に伝える」

という時代は過ぎ去りつつあります。一人一人の人間が

「自分にとっての聖なる物語をもち、そこから精神的な知恵を引き出して日常を輝かせる」

という時代になっているのです。

実は人と神との関係もこれと同じで「一部の祈りのエリートに頼っていればよい」時代は終わっています。

「誰もが自分の心で神的存在を感じる」ことが求められる時代に移行しつつあるのです。

日本神道の神社でご神体が「鏡」とされていますが、「神的存在は貴方の外ではなく貴方の中にいる。」といこうことを暗示しているのです。

一部の特別な人だけが神とつながるという時代は、とっくに終わっています。

誰でもつながれるのです。だからこそ、バカと天才は紙一重ということを意識しなくてはいけません。

昔からの霊感がある人の悩みの一つに「神とつながった気がするんだけど、妄想なんだかホントなんだかわからない」というものがあります。

これは「分からない」でよいのです。「誰でも神とつながる」ことができる現代においては、自分のインスピレーションに対して「全否定することなく全肯定することもなく」という、知性と感性のバランスのとれた態度を身につけることこそが全ての人に求められるのです。

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nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと寓話の研究家。作家 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」

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