法廷では「疑わしきは被告人の利益に(in dubio pro reo)」にということが言われますが、食べ物は「疑わしきは食べるな」がよいと思います。
MADE IN CHINA の毒入り餃子が話題になったことがあります。あれで怪しいと思ったらMADE IN CHINA と書いてある食べ物はなるべく避けるようにすればいいのです。放射能リスクが危険だと思ったら、危険と判断した産地のものはなるべく買わないようにすればいいのです。遺伝子組み換え食品が問題だと感じたら、そういう食品は極力避ければいいのです。
というのは、食べ物のように毎日食べるものの場合、「有害説が本当だった場合、証明されてからでは遅い」からです。
「安全です」と生産者や役人が言っていることを信じたとして、実際は有害だと10年後20年後に分かっても、「安全です」と言ってた人達は責任なんかとってくれませんよっていう話です。他人が自分の健康に責任をもってくれることはありません。自分の健康は自分で守らなくはいけないのです。
100人中100人が食べてすぐ倒れるレベルの有害性ならすぐに売れなくなり、市場に出回らなくなるでしょう。ただ、100人中1人が倒れるかどうかというレベルの有毒性というのは、世の中ではそれほど大きく問題にされることはありません。
卵アレルギーの人にとって卵は毒物ですが、そうでない大多数の人にとっては無害で美味しい食べ物だからです。
大事なのは
「食事法や健康法に万人向けのものなんかない。答えは1人1人違う」
というごくごく当たり前の話からスタートすることです。
例えば牛乳や乳製品は人間にとって有害であるという説があります。この説が全ての人にとって正しいかどうかの議論はここではしません。健康というのは極めて個人的な問題なので、統計的にみてどちらが優位か的な話はあまり重要ではないからです。
それよりも大事なことは
「牛乳飲んで気分や体調が悪くなったかも」
と感じることが一回でもあったら、飲まない方向で検討することです。別に牛乳飲まなくても死にませんから。牛乳は栄養豊富で健康によいと主張する人がいますが、栄養の補給源なら牛乳以外にも食品はいくらでもあります。牛乳が怪しいと感じたら、とりあえず牛乳断ちをしばらくやってみて、そのほうが調子がよければそのまま「牛乳にNO」生活にすればいいのです。
食事というのは思想と似ていて「人類全員にとって間違っていないかどうか」というのは大事ではありません。1人の人間にとって適切かどうかが最も大事なのです。
結論としては
「疑わしきは食べるな。
食べられる物が何もなくなったら?
実際にそうなってから考えろ。」
ということになります。