日本文化ではなく日本文明を愛せ!

優雅に幸せに

文化と文明の違いというのを考えたことはありますか?
人によって違う意味で使われる言葉なので

1.文化 地域や時代によって左右されるもの  (例 江戸文化・ハリウッド文化)
2.文明 地域や時代を超えた普遍性をもつもの (例 ローマ文明・日本文明)

と簡単に定義しておきます。

一言で言えば、文化というのは個性的なもので、文明というのは普遍的なものです。

シナ(CHINA)や朝鮮半島の人達は、「親族の団結、一族レベルでの団結」がとても強いです。ところで、近代以降の日本では「一族レベルでの団結」という意識は弱くなっていっています。これひとつとってもシナ(CHINA)と日本(JAPAN)は異文化なのだということが分かります。

道徳律でいうなら

1.他人には親切にしよう (これは文明レベル)
2.親族は大切にしよう (これは文化レベル)

です。

「親切にしよう」というのは時代や地域を超えた普遍性を持つ概念です。ただ、どこまでを「親切にしよう」という道徳の範囲に含めるかは時代と地域によって異なってくるわけです。

奴隷制のようなものがあった時代は、奴隷は「人間外」扱いでしたが、現代では奴隷制は廃止されているので、誰であれ「人には親切にしよう」の対象に入らない人はいません。(「安寿と厨子王」などの物語に象徴されるように、中世以前の日本には奴隷制のようなシステムが存在していました。)

文明というのは普遍的なものなので、伝統的な存在に似ているところがあります。

伝統というのは、実は「常に変化しているから伝統たりえている」のです。落語だって、ネタが全部江戸時代のネタだけだったら、現代人で分かる人は100人に1人くらいですから商売として生き残っていることはないでしょう。現代人も笑えるような形に変化しているから「伝統的笑い」として存在し続けているのです。

伊勢神宮にしても、式年遷宮といって20年ごとに建て替えることで常に新しい建物に更新しているからこそ、古代日本の精神を今に伝えることができるのです。古代建築が文字通りそのまま残っているという世界的奇跡は、常に立て替えて新しくするという発想があったから可能になりました。

時代を超えた日本文明の精華として残すべき部分は変えてはいけません。ヨーロッパ文明ともシナ文明とも異なる独自の世界観こそが、日本人が世界に貢献できる部分だからです。例えば「異なる価値観の調和」をもたらす「和」の精神は、聖徳太子の時代であれ現代であれ「尊し」となしてよいものです。

ただ、私達が日本文化だと思っているものの大半は、実は意識的に見直し対象にしてみる必要があります。1000年前からの伝統と思いこんでいる価値観が、「昭和の一時期に育まれた特殊な価値観」だったりする可能性は決して低くないからです。

例えば、女性の着物の着付け方などはよい例で、明治期の写真と現代の着付け教室の多くはかなり違う着せ方をしています。(要は、現代ではTV撮影用や写真撮影用の着付けが標準的な着付けになってしまっている。普段着で着ていた時代にこんな着方はしてなかった。)

「日本列島は日本人だけのものではない」と発言して物議をかもした政治家がいましたが、 「日本文明は、日本人だけのものではなく、もはや世界の宝」です。ワンピースも柔道も、日本人のためのものとして生まれましたが、もはや地球人類の宝なのと同じです。

文化ではなく文明に意識をおけというのは、「時代と共に変えるべきは変え、時代を超えて残すべきは残せ」ということです。その判断を一人一人が勝手にやっていけば、必然的によいものは残り、どうでもいいものは消えていきます。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。

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