facebook・mixi・各種個人ブログなどなどのソーシャルメディア(SNS)の流行が始まるとともに「SNS疲れ」という言葉が生まれました。要するに、SNSの利用に疲れるという現象のことです。
これは3つくらい理由があります。
1.毎日リアルタイムで日刊紙的につぶやいたり、知り合いのコメントにコメントをつけたりすることに、だんだん飽きてくる
2.暇さえあればパソコンやスマートフォンで画面を見てしまい、「イイネ」やコメントの数に一喜一憂してしまう
この2つはやったことがある人なら想像がつくでしょう。あとはあまり意識されていないもう一つの理由として
3.文章で自分の意図がきちんと伝わらないことに疲れる
というのもあるでしょう。今までは一部の人の悩みだった悩みですが、誰でもブログやSNSで情報発信ができるようになった時代ではみんなの悩みになっているのです。
現代の政治家の悩みの一つは、1時間の講演のうちの10秒だけの語句を切り取って言いがかりをつける不逞の輩がたくさんいることです。例えば、麻生首相が「ホテルのバーは安い」と発言したところ「庶民感覚がない」とマスコミに批判されました。ところで、発言の前後を見てみると「警備上の問題なども考えると、色んな人と会うにはホテルのバーは安くてよい」という話でした。ネタはなんでもいいから話のネタのために批判したような話です。逆に赤ちょうちんのような所で飲んでいたら、今度は「首相なのに品格がない」と批判されていたことでしょう。政治家が政策ではなく食べ物を批判されるのはある意味で平和な話かもしれませんが。
古くは徳川家康が、豊臣秀頼を滅ぼすために方広寺の鐘の「国家安康」という言葉が「家康の家と康を切り離した呪いだ」という言いがかりをつけましたが、こういうのを「結論ありきの嫌がらせ」と言います。家康の場合は「戦をはじめるために一応口実をつくりたかった」というだけで、具体的な理由はなんでもよかったわけです。
こうした「何を書いても批判の対象にされる」ストレスは以前は政治家や有名人だけの問題でした。ただ、SNSの登場で誰もが情報発信する立場にたった結果、こうした政治家へのくだらない攻撃と同じような攻撃に普通の人もさらされうる時代になったわけです。
これの処方箋は「全ての人に100%理解してもらおうなんて欲は捨てること」が一番大切になります。ファンができればアンチもできます。しかし、批判者が現れれば、賛同者もあらわれるものです。批判者が現れた時は、目の前の批判だけでなく声なき賛同者の声にも耳を傾けることです。