民衆デモや暴動というと、小説やドラマでは、よいイメージや正義のイメージで描かれることが多いようです。「権力者は悪、民衆は正義」というのはわかりやすいステレオタイプ(型)だからです。
ところで、民衆の暴動やデモなどがいつも民衆のためになっているかというとそんなことはありません。権力者が間違いをおかすように、民衆も常に間違いを犯します。
例えば、義和団の乱という清朝末期の民衆暴動があります。清国はこれを利用して当時の欧米諸国と日本の攻勢をはねのけようとしますが、見事に大失敗したため、欧米や日本による半植民地化を加速させてしまいます。民衆の「麻薬を売りまくるような横暴な外国勢力を追い出したい」という感情そのものは正しかったのですが、行動が誤っていたので失敗した例です。
日本だと一番最近起きた大きなデモや暴動は、岸内閣(1957-60)の時の1960年代の日米安保改定反対のデモだったでしょう。しかし、結局、岸内閣を倒した結果として残ったものは何だったでしょうか?
安保反対デモは、大規模な反対運動を盛り上げた割には、米軍の日本からの撤退も、安保条約の廃棄も、何ひとつ実現できませんでした。かえってデモで岸内閣に圧力がかかったせいで、安保条約は米国側に有利すぎる状態のままになってしまったとも言えます。岸内閣は、段階的に米国依存を減らす方向に動いていましたが、かなり骨抜きにされてしまったのです。
(相手国の反政府勢力をたきつけてデモや暴動や反乱などを起こさせるというのは、国際交渉においてはよくある話です。日本でも戦国時代には、敵の領地で一揆(民衆暴動)をおこさせる、などはよくある策略の一つでした。三国志や信長の野望といった光栄のゲームでもやってもらえればすぐ分かります。)
鳩山一郎内閣(1954-56)の時代の日本政府は「米軍の完全撤退」を求める交渉も行っていました。国際的な「中道的な感覚」なら、外国軍に自国の防衛をゆだねるというのは「ありえない発想」なので当然です。もちろん、憲法改正や軍備再建も志向していました。米軍に撤退してもらうのだからごく自然なことです。歴史上、外国軍に国防をゆだねた国はだいたい滅亡していますので。
孫の鳩山由紀夫内閣(2009-2010)になると「沖縄の米軍基地をひとつ減らしてもらおう」という程度の交渉をするだけで、内閣がひとつ飛ぶ有様です。
日本史を見る限り、安保闘争は残念ながら、安保を廃棄するどころか米国依存症の強化にしか役立たなかった、と言わざるをえません。
民衆運動というのはだいたい「動機はとても正しいけど、結果が間違う」ということになってしまうリスクを背負っています。ネット右翼と呼ばれる人達の一部が、日本と韓国との領土問題解決を目指しているのに、なぜか攻撃の矛先を韓国のアイドルグループに向けているのはわかりやすい失敗例の一つでしょう。
正義を主張することは大切ですが、主張することによってかえって達成したい目的からそれてしまう危険というのは、それなりに認識しておく必要があります。独裁者も間違いを犯しますが、大衆も間違いを犯すものなのです。