家族サービスという言葉は、女性は専業主婦、男性は外でサラリーマンなどの場合に、男性が「たまの休みに、家事や育児に付き合う」という意味合いで使われることも多いようです。
ただ、男性は疲れ切った身体で無理矢理に家族サービスを頑張る必要は全くないと思います。子供と遊ぶのが癒やしや気分転換になるなら遊べば良いし、ならないなら無理に相手をする必要はないと思います。
家族サービスという言葉の前提としては、
男は外でお金を稼ぐことを担当する。家に帰ったら何もしない
女はお金は稼がないが、家事と育児を担当する。
つまり、男女で完全分業する
という話があるでしょう。
一昔前の日本は
「仕事=共稼ぎ 家事&育児=共同作業」
が普通でした。
これが、高度経済成長くらいの日本で
「男性が家族全員分稼ぐ。女性は主婦に専念する」
というスタイルが出てきたのが「家族サービス」という言葉が普及した原因でしょう。なぜ男性の家事がサービス(本来は自分の担当ではないこと)になるかというと、「専業主婦」という家事の専任担当者がいるからです。
男性目線で考えると、例えばサラリーマンで、普段は実働12時間+通勤2時間で14時間くらいを仕事に使っていたとして、「たまの休日くらい寝せろ!遊ばせろ!」というのは実にもっともな話です。逆に、家に帰ってきたら完全にのんびりしたいからこそ、 奧さんに「外で仕事をしないで、専業主婦になってくれ」という依頼をするのだと考えることもできます。
夫婦で二人とも働いて二人で家事するか、男性一人が外で働いて女性一人が家事をするか、ただの家庭内の役割分担の問題にも見えますが、これ、実は深い問題が隠れているように感じます。
一つは長時間労働の常態化です。
社会単位では、長時間労働があまりにも一般的になりすぎていること
家庭単位では、核家族化が進んで家事・育児の交代要員がいなくなっている
この二つです。ビジネスの場でも家庭でも長時間労働でみんなが疲れているわけです。
もう一つは「働くことが大事に扱われすぎている」ということです。
*休み=何もしないでいることが尊い
*休息や内省的な時間を大切にする
こうした価値観が薄くなっているのが、実は一番まずい話だと思っています。
ユダヤ人はビジネスにも学問にも強い民族として知られますが、安息日という「お休み」を大事にする習慣をもっています。この日は、家事も仕事も禁止です。男性も女性も「何もするな」という日なわけです。ビジネスや学問でのユダヤ人の成果というのは「何もしない時間をとる習慣」などの背景があって成り立っている可能性があります。
なお、欧米圏には「家族サービス」という言葉はないそうです。
というのは、欧米圏は共稼ぎ家庭の比率が高く、共稼ぎ&共同で家事&育児が当たり前という人達が多いようです。
共稼ぎの人が多いので、「男性が自分の仕事ではない家事をする家族サービス」という言葉は市民権がないという話です。