表の顔と裏の顔、そして魂の顔について

エッセイ

人間には、誰しもホンネとタテマエがあります。たくさんの人がいる前で話せることと、一部の人の前でしか話せないことは誰にでもあります。「俺はホンネしかないから」と公言する人はよく見ますが、そうはいっても「タテマエ」という概念がその人の中にないというだけで、「みんなの前で見せているもの・見せていないもの」というものは存在します。

よくあるのは「こんなに楽しい毎日です」という所は人前で見せますが、「毎日淡々と地味にやってること」みたいな所は人前で見せないケースです。話題性が低いものは表には出さないという話です。

極端な話、人前に出る時に髪の毛ボサボサで出る人はあまりいないわけです。表の顔と裏の顔というのはそういうレベルの話です。「私はホンネしかありません」という人でも、パジャマで記者会見に出てきたりすることはないのです。その辺、他人の言ってることをあまり言葉通りに信用しすぎないことは重要です。

シンボル的に考えた場合、表の顔と裏の顔というのは対になる概念なのですが、さらに魂の顔、というものを想定しておくと人間理解が深まっていきます。

表の顔→便利ないい子
裏の顔→使い勝手の悪いワガママな人
魂の顔→純粋で成長意欲が高い人

という風に三層構造で見ていくと便利です。魂の顔というのはソースとか始原などと呼ばれるものと隣接した概念になります。

内省的な時間というのは、簡単に自覚できない抽象度の高い本音があるという想定で話を進めていかないと意味がありません。

ただ、そういうものだと知っているというだけでは意味がないので、そういう壁を越える概念を事前にストックしておくことが大切なわけです。抽象度の高い概念のストックの数が増えるごとに、お気楽極楽なことが増えていくということです。

追記

もっとも宗教的な概念に関しては、注意が必要で、メンタルの健康を害している時にふれると悪い意味で信者マインドになります。概念としてのパワーが強力であるがゆえに、精神的ダメージがでかい時に学ぶと圧倒されて自分の本質が隠されてしまう恐れがあるからです。

nakajima oumi

nakajima oumi

シンボルと精神世界の研究家。 「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」。日本文化と欧米文化は異なるからこそ面白い。

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