犠牲を受け入れると、現実が変わる
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神仏の世界に模範解答なんかあるわけがない
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「歴史にifは無い」という大嘘

「ifの話だとどうとでも展開できるから、答えがないからつまらない」というのはそれはそれで一つの意見です。結局「言い切ったものが勝ち」もしくは「模範解答が存在しない」という理由で「イフの話はつまらない」という意見が存在するのは理解できます。

しかし「未来や過去のシュミレーション」をすることをやめてしまったら、歴史に学ぶことの一番美味しい所が失われます。

そもそも多くのタイムスリップ小説やマンガが間違って教育している概念に

「過去は全て必然だった」

というものがあります。ところで、歴史にさかのぼらずに自分の人生をさかのぼってみるだけでも

「いかにたくさんの偶然の積み重ねで現在があるか」

ということは想像できると思います。そもそも父親と母親が知り合ったことだって偶然の積み重ねです。外の可能性はいくらでも存在していたわけです。

実際は、

「ものすごい偶然 × ものすごい偶然 × ものすごい偶然 =過去の出来事」

なのです。

これをカンタンに「必然」と片付けてしまうと、ものすごく発想の幅が狭くなってしまいます。それは、自分の未来を狭くしてしまうことにつながる危険な思想なのです。愚民化政策と言っても言い過ぎではありません。

科学的精神というのは「実験精神」にあります。歴史学や経済学などの欠点は、頭の中でしかなかなか実験ができないことです。フラスコをぐつぐつやって実験することができないのが欠点です。しかし、頭の中でしかできないからといって「実験」や「シュミレーション」をやめてしまったら科学とは言えません。「歴史にIFはない」と言って事実の暗記だけをしているくらいなら、「信長の野望」や「三国志」のシュミレーションゲームでもやって遊んでいるほうがよほど実際の役には立つでしょう。

歴史はよりよい未来を気付くために学ぶものです。年表の暗記などはどうでもいいのです。

なお、「過去は変えようがない」というのは物理的な事実ではあります。ただ、歴史の話だと「記録を改ざんしたり、ニセの証言を引き出したり、写真を偽造する」などして過去を書き換えてしまうのはよくある話なので注意する必要があります。ハリウッド映画を見れば、映像や写真の偽造がいかにカンタンに可能かは理解できると思います。もし何かの被害者であると主張したければ「悲惨な証言」や「可哀相な写真」を作り出すことなど、カンタンな話なのです。

特に、政治の世界で歴史が引用される場合、「目的達成のために使えるものは使う」という程度のものでしかないことが多いことは記憶しておく必要はあります。

セラピー的視点で補足すると、「人生の過去の解釈」はどうとでも変えられます。また、別に記憶のねつ造を悪と捕らえる必要もありません。「本人が幸せかつ健康になること」が重要なのであって、思い出した過去の記憶が「本物かどうか」はどうでもいいからです。イエス・キリストの復活と昇天、アマテラスの岩戸隠れ、こうした神話的エピソードも「事実だったかどうか」がどうでもいい問題なのと同じです。信じたい人は信じればよいし、無視したい人は無視すればよいのです。

歴史の場合は、あくまで「未来をよりよくするために過去を学ぶ」という視点が最も大切なものです。
「余は歴史に学ぶ」と言ったドイツ帝国宰相のビスマルクではありませんが、歴史という「過去の事例」を学ぶ意味は、そこから現在の自分に役立つ発想を引き出すという点にあります。

「他人の成功事例や失敗事例を聞いて、自分ならどうするか考える」(イフを考える)

というのは、遊びとして面白いだけでなく、とても大切なことでもあるのです。

所長
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ストーリー(神話)・ストラクチャ(構造)・スピリチュアル(精神世界)、3つのSな視点から物事の起源を見るインスピレーションを鍛えるサイトです。所長のキャラは、愛のあるドSです。モットーは「遊びをせむとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ。」
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